春の足音が聞こえ始めたと思ったら雪が降り
どうなっておるのかと訝しむ今日この頃でございますが
皆様ご機嫌いかがですか?
今年になって脇目もふらずネトフリチャレンジ一筋の
阿覧澄史あらんすみしでございます。
「ネットフリックスのドラマをランキング順に100タイトル
早送りせず全話見て小言を言う」という
しょーもないチャレンジを始めてはや4年。
いよいよフィニッシュまで14本に迫り、ほぼ全力で
邁進するワタクシでございましたが世間(と家族)の目は冷たく、
「毎日のんべんだらりんテレビを見て過ごすだけとはいいご身分」的な
お叱りを受け続けること多々であります。
しかし、見たくもない不出来な連続ドラマを見続けるのがいかに苦痛か、
子供騙しの子供番組(?)を最初から最後まで見るのがどんだけ辛いか、
ジジイの嗜好に合わない恋愛ものをぜーんぶ見てどれだけ虚無感を味わうのか
考えたことがあるのかね諸君!(なぜか逆ギレ)
ワタクシは声を大にして申し上げたい!
不惑どころか還暦まで過ぎてやることではなかったー と。
(大にする必要なかったか…)
まあ、そうは言いましても
「白鯨」も「戦争と平和」もいまだに最後まで読んだことなく、
NOVAの英語も一年でやめ、いまだ禁煙もできず
ダイエットだってリバウンドを繰り返し
なにも初志貫徹したことがないワタクシであります。
せめてネトフリ100本チャレンジぐらい完結させたい
と思う春の日でございました…。
ネトフリ100本完全チャレンジその87
「デッド・トゥ・ミー 〜さようならの裏で」 2019~2022年米
脚本 リズ・フェルドマン 他
監督 エイミー・ヨーク・ルービン タムラ・デイビス他
出演 クリスティナ・アップルゲイト リンダ・カーデリーニ
ジェームス・マースデン
(3シリーズ 30話)
<あらすじ>
夫を交通事故で失った不動産仲介業で2児のママ・ジェン(ジェニファー)は
遺族セラピーでジュディという女に会う。
夫を失った妻同士慰め合い、急速に親しくなる二人。
行くところのないジュディはジェンのゲストハウスに住み始めるが
ジュディの夫は実は生きており、ジュディは思惑があってジェンに
近づいてきたことがわかる。
そしてジェンはジュディに巻き込まれ
のっぴきならない状況に引き込まれていくのでしたー
「デッド・トゥ・ミー」というのは直訳で「私にとってあなたは死んでる」
=「お前とは縁を切る」という意味の慣用句だそうで
端的に内容を表し、雰囲気のあるいいタイトルであります。
出だしは「ゆるーい女性の友情もの」なのかと思うようなドラマなのですが
じょじょに大事な人の「死」をきっかけに「人に言えない秘密」を共有してしまう
ふたりのドタバタ悲喜劇の様相を呈してまいります。
(うーん、ネタバレしないようにするにはどこまで言っていいのか難しい…)
「キレやすくて「F☆ck」とか「s☆it」とか言いまくる
うるさいおばちゃんジェンと
人に謝ってばかりいて夢みがちなおばちゃんジュディが
「秘密」を守るために言いたくないことをいい、やりたくないことをやり、
さらにはそのせいでにっちもさっちも行かなくなって七転八倒、
ヘビメタ聴いたりクスリでハイになったりしつつ
それでも懸命に自分達と家族を守ろうとする
共犯関係と友情の物語」
ってことでいいかと思います。(本当か?)
話を長引かせるためちょっとオーバーめな出来事を入れたり
冗長に感じるところもあるのでございますが、
概ね満足のいくドラマでありました。
ただ一つ気になりましたのが、第3シリーズで
ジェン役の役者さん(クリスティナ・アップルゲイト)のシェイプが
明らかに違っていることでございました。
(かなりふっくらしてる…気になって話が頭に入らない)
どうしたことかとネットを探りましたところ、3シリーズ目で
この方の病気療養により撮影が中断していたそうであります。
(エグゼクティブプロデューサーも兼ねていたので
病気があっても頑張ったのでありましょう。頭が下がります…。)
ここからちょっと余談なのでありますが、
ネトフリ見てますと最近テレビシリーズの主役が
プロデューサーを兼任しているのをよく見かけます。
ワタクシ、それを見ると、「むむむ」と唸って
色々危惧してしまうのであります。
もともと主役の発言権というのは大きいし(主役が演技しないと撮影できない!)
その主役がプロデューサーともなるともはや「ご意見無用」、レベル999
向かうところ敵なし状態でありまして、
カントクに「あのシーンのワタシ、カッコ悪いからセリフ変えて」
なんていう可能性が高くなるのではないかと思ってしまうのであります。
アップルゲイトさんがそんなコト言ってるかは定かではございませんが…。
(「ワタシは大丈夫だから撮影進めて!」とすごいイイ人かも知れない)
つまりですよ、その、何が言いたいかというと
(現代の)ドラマというのは主役がカッコよければいいというものではなく
主役がカッコ悪い方がいいという場合もあり、
客観的に見れる監督がより重要だということなのでございます。
そして「役者さんが役になりきることと役を客観視することは相反する」ので
主役が監督の意見を断固拒否できるようになると
ドラマがつまらなくなるのではということなのであります。
(あーしんど。久々に真面目なこと書くとタイヘンだ)
すべての兼任プロデューサーがそうだとはいえないし
ケースバイケースであるとは思いますが
その辺気をつけて欲しいなと切に思う次第であります。
(ちょっと偉そう?すみません)
さて次回、
その88は「ガールボス」でございます。
若者のドラマ?
もうこうなったらなんでも来いであります。